第11回 美しさとは何か
本コラムではこれまで美という極めて「主観的」な概念と、主体と客体を分離して「客観的」に管理対象を捉えようとする経営管理という、一見すると対極に位置するように見える両者の関係について、さまざまな経営者との対話を通じて考えてきました。
そこでは大変興味深い議論を重ねることができ、多くの示唆を得られました。しかし、それでもなお「美とはどのようなものであるのか」という問いに答えることは容易ではありません。そこで、今回は「美」について考えてみたいと思います。
ウィキペディアなどによると、古代ギリシアでは美(Kalon)という言葉は、「女性が美しい」という意味での美しさではなく、美しいとされる物事がなぜ美しいのか、その根拠たる「存在」として概念規定されたものだそうです。
一方で、日本語で使われる美という漢字は、羊と大の合成です。羊は宗教的な儀式などで献物として利用されたといわれ、羊を含む漢字には「犠牲」という意味が含まれているようです。 例えば、羊を使う漢字には「義」や「善」などがありますが、羊と我を合わせた義は、私の責任の限りの犠牲(儀式の祭具に盛る限りの犠牲)という意味があるそうです。そして、「大いなる犠牲」が美ということになります。
この場合の犠牲は羊ではなく自らであり、共同体に対して自らの命を献げるという意味で美には最も崇高な行いという含意があるようです。
つまり、美とは完全に主観的な概念でもなく、客観的な概念でもなく、共同体や社会あるいは他者との関係との間で理解される概念であると考えられるのではないでしょうか。経営においても、リーダーはあらゆる点で無関心であってはならないのです。
組織のメンバーのため、顧客のため、社会のため、と他者に関心を持つこと、つまり相手を知ろうとすることで、対象と一体化する姿勢にこそ経営の美を見ることができるのかもしれません。
美は人を魅了し、社会を幸福にします。私たちには自らに与えられた恵み、さまざまな賜物があります。奉仕の賜物を受けている方であれば奉仕をし、分け与える人は惜しみなく分け与え、指導者なら熱心に指導する、つまりそれぞれの賜物に応じて自らの恵を献げると解釈してもよいかもしれません。
それぞれの輝きがあり、その恵みを社会に還元する。こうした意味における輝きこそが美しいのではないでしょうか。
今回のコラムを通して、皆様の賜物とは何か、そして恵を献げるということについて考えるきっかけとなれば大変うれしく思います。
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